ヤクルト引退!青木宣親の若い頃がかっこいい?全盛期の活躍や成績まとめ

2024年の10月2日の広島戦で21年間のプロ野球生涯を終えた、ヤクルトスワローズの青木宣親選手。引退会見時には、「本当に幸せな野球人生だった。やり残したことがない。」とこれまでの野球人生を振り返りました。今回は、この記事でも、かっこよかった彼の若いころや、好成績を残した全盛期の活躍ぶりを思い返していきたいと思います。

青木宣親の若い頃はかっこよかった?

ドラフト4位で早稲田大学より、東京ヤクルトスワローズに入団した青木選手。そんな彼と言えば、最多安打や首位打者、盗塁王、最高出塁王などの数々のタイトルをかっさらったヒットメーカーです。信頼性の高いオンラインカジノのようにチームメイトから信頼されていたと思います。走りも攻めも守りも人並み以上の青木選手に対して、熱狂的なファンも多かったはずです。むしろ、そんな成績を残している選手が、かっこよく見えないはずがないですよね。

青木宣親選手の活躍①史上初二度の200本安打達成

後にも先にも、シーズン200本安打を達成したのは彼だけです。そんな記録を、2005年また2010年にたたき出しました。そんなことから彼は「安打製造機」「稀代のヒットマン」などの愛称で一躍人気者になりました。しかし、初めて200本安打を達成してから5年間、彼はケガによる登録抹消に悩みますが、壁を乗り越えて二度目の200本安打を達成しました。

青木宣親選手の活躍②WBCでの優勝

青木選手は、2006年、2009年、2017年のWBCに出場しており、特に2回目のWBCでは好成績を残しました。打率.234、7打点の活躍で大会ベストナインにも選ばれました。3回目の出場となる2017年のWBCでは、チームの中でも最年長という立場でリーダーシップを発揮し、チームを牽引しました。

青木宣親選手の活躍③メジャー7球団所属

青木選手は、2012年からメジャーリーグ・ブルワーズへの入団が決まり、2017年まで7球団にて彼の活躍ぶりを見せてくれました。外国人ファンからは「Nori(ノリ)」という愛称で親しまれ、2014年にはロイヤルズでワールドシリーズ進出に貢献しました。また、当時

30歳だったアストロズ所属時、日米通算2000安打を達成し、何年経っても第一線で活躍する選手でした。

青木宣親選手の活躍④ヤクルトへの復帰

7球団も渡り歩いた彼が戻った場所は、ホームである東京ヤクルトスワローズでした。復帰後も彼の勢いは止まらず、最年長ランニングホームラン、NPB1500安打、日米2500安打、ヤクルト日本一、リーグ制覇など成績を残しました。彼と練習を共にした他の選手たちは「青木さんは他の人とは違う」と言うほど、自分にも厳しく、他人にも愛情深いゆえの厳しさをもって接していたそうです。

青木宣親選手自身の一番の思い出は?

引退会見にて、あるインタビュアーに21年間の現役生活で一番思い出に残っているシーンを問われました。そんな青木選手が答えたのは、ヤクルトが日本一になったことだと答えました。一番初めに入団したヤクルト、そして一度離れてアメリカで過ごし、また再びヤクルトへ戻ってきたこともあり、かなりヤクルトに愛着をもっているようでした。そんなチーム愛溢れる先輩の下で育った後輩選手も沢山いるはずです。

まとめ

今回は青木宣親選手の若い頃から引退までの活躍ぶりを振り返りました。42歳まで野球人生を送れた理由には、彼のハイレベルなプレーはもちろんですが、彼の日ごろの練習に対する姿勢や、コーチ・選手に対する人情味のある行動も含まれていると思います。誰からも愛される選手だったからこそ、今回の引退は寂しいですが、選手以外での立場として日本の野球界を引っ張っていってほしいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。