NPB史に残るほどの独走、圧倒的な強さを見せた2025年シーズンの阪神タイガース。そのブルペンを支えた一人が桐敷拓馬選手、2024年に70試合登板という大車輪の活躍で今季は疲労が心配されましたが、しっかり40試合を越える登板数でチームに貢献しました。
今回は桐敷拓馬選手の実家が花農家だという噂や出身校、年俸について調査しました。
桐敷拓馬の実家は花農家?
桐敷拓馬選手の実家は埼玉県川里地区の花農家です。桐敷拓馬選手がプロ野球選手になった際にはJAほくさいの公式ページに「川里の花農家出身のプロ野球選手が誕生」というニュースが掲載されました。同ページによると桐敷拓馬選手の両親や祖父母がパンジーなどの花30アールと水稲70アールを栽培しているとのこと。
桐敷拓馬選手は郷土愛が強いことでも知られており、自身の出身地、埼玉県鴻巣市の知名度を上げたいと考えているそう。桐敷拓馬選手の活躍は地元の知名度向上に直結することでしょう!
家族は?
桐敷拓馬選手のお父さんは徹さんでお母さんは洋子さん。先述のJAほくさいの公式ページには桐敷拓馬選手と洋子さんのツーショットが掲載されています。桐敷拓馬選手が6歳の時に両親に「野球チームに入りたい」とお願いしたのが桐敷拓馬選手の野球人生の始まり。お父さんとキャッチボールしたり、花のハウス内で素振りをしたりして腕を磨いたそうですよ。
桐敷拓馬選手は4045グラムで誕生、「お母さんが大変な思いをして産みました」とお父さんが回想しています。病院で並んでる時も、探さなくてもすぐ分かるほどだったそうです。
兄弟はいる?
桐敷拓馬選手にはお姉さんの美咲さん、お兄さんの隼人さんがいます。2つ年上のお兄さんのことが桐敷拓馬選手は大好きだったらしく、お兄さんのマネをするように野球を始め、お兄さんが2年生の時に野球チームに入ると、桐敷拓馬選手もついて行っていたそうです。当初は、まだ小学生ではない桐敷拓馬選手は試合に出ることは出来ませんでしたが、みんなと一緒に練習をするだけで大満足だったんですって。桐敷拓馬選手が野球選手になったのも、お兄さんの影響が大きいのですね。
桐敷拓馬の高校はどこ?
桐敷拓馬選手は本庄東高校に通っていました。埼玉県の私立である本庄東高校は特に数多くのプロ野球選手を排出しているという高校ではない模様。
一年夏からベンチ入りを果たした桐敷拓馬選手は、当時の三年生が抜けた後の秋の時点でエースを務めました。3年夏の埼玉県大会では2回戦の埼玉栄高校戦で1失点完投勝利を記録するなど活躍するも、5回戦で聖望学園高校に敗れて最後の夏を終えました。三年間で甲子園出場は叶わなかったのですね。
桐敷拓馬の大学は?
桐敷拓馬選手は高校卒業後、新潟医療福祉大学に進まれています。1年秋から関甲新学生野球連盟リーグ戦に登板し、4年春に8試合で5勝1敗防御率1.57という成績を残しました。この成績をもってドラフト上位候補として注目を集めると、ドラフト指名を受けた後に平成国際大学戦でリーグ新記録の19奪三振を記録、更にリーグ史上初となる完全試合を達成しました。
同大学には、桐敷拓馬選手の3学年上に現在はタイガースでチームメイトとなっている漆原大晟選手がいました。更に桐敷拓馬選手の同期である佐藤琢磨選手は福岡ソフトバンクホークスから育成13位指名を受けています。
桐敷拓馬の年俸は?
桐敷拓馬選手の年俸推移は以下のようになっています。なお、これらの数字はいずれも推定の金額であることに注意が必要です。
年 | 年俸 |
2022年 | 1000万 |
2023年 | 1100万 |
2024年 | 3300万 |
2025年 | 8800万 |
大卒からドラフト3位で阪神タイガースに入団した桐敷拓馬選手、契約金は6000万円で推定年俸は1000万円でした。ルーキーイヤーから一軍登板を経験した桐敷拓馬選手は順調に年俸も上がっていき、特にキャリアハイを大きく更新する2024年のオフの契約更改では大幅昇給を掴み取りました。
桐敷拓馬の経歴
ここからは桐敷拓馬選手の経歴、プロ入り後の成績について紹介します。
2022年
ルーキーイヤーから一軍春季キャンプに参加した桐敷拓馬選手は、代役という形ながら開幕3戦目に先発登板を果たし、5回まで無失点の好投、しかし6回に3点を取られて負け投手になるという船出でした。結果的に一軍では7登板3先発、0勝3敗、防御率5.02という成績でした。それでもウエスタン・リーグでは13試合で6勝1敗防御率0.72という好成績を残し、悪くないルーキーイヤーを過ごしましたよ。
2023年
一軍キャンプ中に二軍に落ちてしまった二年目の桐敷拓馬選手は、5月に一軍昇格を勝ち取り、7回5安打1失点10奪三振の好投で一軍初勝利を飾りました。フレッシュオールスターに出場した際に当時の監督であった岡田彰布さんからリリーフ適正を見出され、後半戦からはリリーフに転向、14ホールドを記録するなどリリーバーとしてチームの優勝にしっかり貢献しました。
シーズンの成績は27試合2先発2勝0敗14ホールド、防御率1.79。CSや日本シリーズでも登板し、オフのアジアプロ野球チャンピオンシップでは日本代表として優勝に貢献しました。
2024年
三年目のシーズンはキャンプから中継ぎ調整を続け、開幕12試合連続無失点を記録し勝ちパターンを勝ち取ります。結果的に70試合というリーグ最多、大台に乗せる登板数に3勝1敗40ホールドで最優秀中継ぎのタイトルを獲得、防御率は1.79と大活躍でした。CSでは悔しい登板もあったものの、大幅昇給も納得のまさしく飛躍のシーズン、一方で翌年への疲労が心配されるシーズンでもありましたよ。
2025年
2025年シーズンはシーズン終了間近という現在、43試合に登板、試合数は大幅に下がりこそしましたが、大車輪だった2024年の翌年としてみると十分すぎる試合数に登板してリーグ優勝に貢献しました。防御率は2点台後半、ホールド数は13を記録しています。
出展:阪神タイガース 公式
最後に
今回は桐敷拓馬選手の実家が花農家だという噂や桐敷拓馬選手の出身高校、出身大学、年俸の推移について紹介しました。昨年と比べると成績は落ちたとも言える桐敷拓馬選手、年俸がどうなるのかは気になるところです。70試合というのは近年のNPBにおいてはリスクの高い数字ですから、今年の数字が去年より悪いからといって、減俸するようなこともないのでは、なんて思いますけどね。