新庄剛志の阪神時代の活躍は?現役時代のエピソードや魅力・影響についても

現在北海道日本ハムファイターズの監督を務める新庄剛志さん。現役時代はメジャーリーグやファイターズでプレーしましたが、キャリアのスタートは阪神タイガースでしたよ。阪神時代にはどのような活躍を見せていたのでしょうか。

今回は新庄剛志さんの阪神時代の活躍や現役時代のエピソードなどについて紹介します。

新庄剛志の経歴

さっそく新庄剛志さんの経歴を追いながら、現役時代のエピソードや阪神時代の活躍、魅力について紹介していきます。

少年野球チームのメンバーを自ら集める

小学3年生の頃にソフトボールを始めた新庄剛志さんは、当時の監督に人並み外れた負けず嫌いっぷりを見せつけたことがきっかけで、野球チームの創部を持ちかけられて野球を始めることに。この時、新庄剛志さんはなんと自らチームのメンバーを、僅か2日で集めており、ユニフォームのデザインやチーム名の命名なども行いました。当時の新庄剛志さんは小学生、この頃から目立ちたがり屋で周囲の人々を巻き込んでいくカリスマ性を持っていたのですね。

新庄剛志さんのお父さんは自身が果たせなかったプロ野球選手の夢を息子に託しました。そのため、当時から父親の指導は監督が「見てられない」と思うほどに厳しかったそうです。

ドラフト5位でタイガースに指名される

中学時代に軟式野球部で汗を流した新庄剛志さんは、高校は西日本短大附属高校へ進学。3年生の時には1番センターを務め、福岡大会の決勝でサイクル安打を達成する活躍を見せるも、チームは敗戦。高校時代に甲子園出場は叶いませんでした。

高校時代の新庄剛志さんは高い走力、そして高校生として抜きん出た肩力が評価される選手でした。結果的にタイガースからドラフト5位で指名され、下位指名だったこともあり入団を悩みはしたものの、高卒でのプロ入りを果たしましたよ。

ルーキーイヤーにショートへコンバート

腰痛を抱えてのスタートとなったルーキーイヤーの1990年は二軍で36試合出場、打率.074と苦しむも、シーズン中に自らショートへのコンバートを志願。1991年は二軍で規定打席に到達するなど経験を積み、秋には一軍に昇格して13試合に出場、17打席に立ち二本のヒットと打点を記録しました。

新庄剛志さんは阪神時代はショートやサードを守ることもあったのですね。1992年には内野手登録になったものの、結果的に以降は外野、センターでの活躍が主となりました。

亀新フィーバーでチームを沸かす

1992年5月頃に頭角を現し、一軍定着以降は「虎のプリンス」といった愛称が定着していくことに。センターの新庄剛志さん、ライトの亀山努さんの活躍で、近年低迷していたタイガースは同シーズン最後まで優勝を争うほどの飛躍を果たし、「亀新フィーバー」が巻き起こりました。若い女性からの支持も厚く、なんと新庄剛志さんへのファンレターは1日につき段ボール1個分もあったそうですよ。

「新庄ナイター」でサヨナラグランドスラム

球団史上最年少でスタメン4番出場を果たした試合もあった1993年には、初の規定打席到達を果たしてベストナインとゴールデングラブを受賞。外野手登録に戻った1994年にはオールスターのファン投票でセ・リーグ最多得票を得ました。

1994年のシーズン中に自身の後援会「新庄会」が発足し、それを記念する「新庄ナイター」となった5月13日の試合では高津臣吾さんからサヨナラ満塁本塁打を打つという活躍を見せました。スター性を示すエピソードですよね。

敬遠球をサヨナラ打に

高い人気を誇った一方で1995年から1998年にかけてはシーズン打率が2割2分から2割3分に落ち込むなど打撃で結果を出せない時期も長かった新庄剛志さん。1999年には5月に自身初の月間MVPを達成、6月12日の試合では12回裏同点一死一三塁で、相手側が新庄剛志さんを敬遠するというシチュエーションの際に、外し方が甘い敬遠球をヒッティング、サヨナラヒットにして見せる離れ業を見せましたよ。

同年のオールスターゲームではオール・セントラルの通算1000本安打や2リーグ制発足50周年記念試合で本塁打を放ってMVPを獲得するなど印象的な活躍を見せました。

FA権を行使してメジャーへ挑戦

2000年は開幕戦から4番センターを務め、20世紀最後のサヨナラ本塁打を打つなど活躍。阪神時代ではキャリアハイクラスの打率.278や28本塁打を記録し、二度目のベストナイン、七度目のゴールデングラブを受賞しました。

この活躍をもって、同年オフに新庄剛志さんはFA権を行使、メジャーへの挑戦という決定は周囲を驚かせました。2001年と2003年はニューヨーク・メッツ、2002年はサンフランシスコ・ジャイアンツでプレー、ジャイアンツ時代は日本人選手として初めてワールドシリーズ出場を果たしましたよ。

ファイターズに加入しパ・リーグを盛り上げる

3年間のMLBでの戦いを終え、新庄剛志さんがNPB復帰球団に選んだのは来シーズンより北海道へ移転するというタイミングの日本ハムファイターズでした。「札幌ドームを満員にする」「チームを日本一にする」という目標を掲げた新庄剛志さんは復帰一年目に自身キャリアハイとなるシーズン打率.298を記録し、ベストナインとゴールデングラブを受賞。同年のオールスターゲームではホームへの単独スチールを記録してMVPを受賞し、「これからはパ・リーグです」と宣言。チームの枠に留まらず、パ・リーグを盛り上げる活躍を見せました。

日本一を成し遂げて引退

2006年シーズンはシーズン序盤に引退を宣言し、同年も126試合に出場してチームの優勝に貢献。自身初の日本シリーズでも活躍し、「札幌ドーム満員」と「日本一」を成し遂げて引退しました。

2019年には突如現役復帰への挑戦を始め、それは叶わなかったものの2021年オフに今度はファイターズの監督に就任するなど、今でも度々野球ファンを驚かせていますよ。

出典:新庄劇場

新庄剛志の魅力は?

選手としての魅力は、打撃能力以上に高い守備力、持ち前の身体能力を活かしたダイナミックなプレーの数々が新庄剛志さんの魅力です。10度のゴールデングラブ賞は歴代4位タイの記録ですよ。

ですが、やはりそれ以上に人を引き付けるカリスマ性、記録よりも記憶に残るスタイルこそが新庄剛志さんの魅力なのでしょう。大胆な発言は時に物議を醸しますが、それでも新庄剛志さんは今でも多くの人から愛され続けていますよ。

最後に

今回は新庄剛志さんの阪神時代の活躍や現役時代のエピソード、魅力について紹介しました。2025年のプロ野球のシーズンもいよいよ終盤、新庄剛志さん率いるファイターズは福岡ソフトバンクホークスと優勝を争うデッドヒートを行っています。どのような結末を迎えるのか、最後まで目が離せませんね!