阪神タイガースに所属するプロ野球選手、山田修也選手。学生時代には世代別ワールドカップの日本代表としても活躍した将来を期待されている選手なのですが、実はお兄さんも野球を行っており、なんでも兄に憧れる形で山田修也選手も野球を始めたそうですよ。
今回は山田修也選手とお兄さんとのエピソードや家族構成、学歴などについて調査しました!
山田修也の家族構成は?
山田修也選手の家族構成は以下のようになっています。
- 父親 浩二さん
- 母親 歩さん
- 兄 利輝さん
- 姉 遥さん
- 山田修也選手
山田修也選手にはお兄さんとお姉さんがいるそうです。3人兄弟の末っ子だったのですね。お父さんやお母さん、お姉さんは野球とはあまり関わりのない人生を送ってきたそうですが、山田修也選手が高校時代に甲子園に出場した際にはアルプススタンドで声援を送っていたのだとか。山田家は宮城県仙台市の家族であり、夏の甲子園は観戦するのもとても暑かったと思いますが、家族の応援のためなら暑さもなんのそのなのかもしれませんね!
山田修也の兄は?
山田修也選手のお兄さん、山田利輝さんは山田修也選手の6歳年上で、山田修也選手に先駆けて野球をプレーしていました。山田修也選手は兄が野球をしている姿に憧れて4歳から野球を始めたということなので、お兄さんも小学生時代から野球をしていたということになりますね。子供の頃の山田修也選手にとってお兄さんは絶対的な存在だったようで、野球を始めたチームもお兄さんと同じ所でしたよ。
甲子園でホームラン
山田修也選手は、「兄は小学生の頃から、バッティングは誰よりもすごいと思っていた」と語ります。山田修也選手の脳裏に強く刻まれているのは、高校野球の強豪校、仙台育英高校に進学したお兄さんが高校3年の時に3番レフトでレギュラーを掴み、甲子園の舞台で戦った姿。大会の自身一打席目でホームランを放って見せたのです。
山田利輝さんは仙台育英高校卒業後、富士大学に進学、そちらでもベストナインや打点王を獲得する活躍を見せました。
社会人野球で奮闘
山田利輝さんは大学卒業後、秋田県の社会人野球チーム「TDK硬式野球部」に進みました。在籍一年目の春先から先発出場を重ねるものの、都市対抗ではスタメン落ちとなり「走攻守すべてが足りない、壁に当たった感覚だった」と挫折を経験。2年目以降は5番や3番などを打ち、都市対抗野球を目指し奮闘しました。
2025年1月に引退が発表されています。2025年で26歳の年となる山田利輝さん、これからまた別の道を歩まれるのですね。
弟の活躍も兄の耳に入っていた
山田利輝さんが社会人野球で戦っている間、山田修也選手は2022年に甲子園で優勝を成し遂げ、更にチームの主将にも就任。その際には弟の優勝に「刺激になりました」「負けていられない」と闘志を燃やしていました。
2024年には阪神タイガースに入団した山田修也選手について「兄なので、調子いいね、とかの連絡は取る」としながら「僕は僕というスタンスでやっている、刺激を受けるとかはない」と語っていましたよ。
山田修也の学歴は?
山田修也選手は宮城県仙台市青葉区出身、南吉成小・中と進み、仙台育英高校に進学しました。地元仙台の高校ですが、仙台育英といえば高校野球界で知らない人がいないほどの強豪校、今のNPBでも上林誠知選手や郡司裕也選手など、一軍で活躍する選手を輩出した高校でもあります。
3歳からプロ野球選手を目指していたという山田修也選手は、兄も通った名門、仙台育英に進むことが決まった時点で「大学は考えてなかった」と高卒でのプロ入りに進路を固めていました。プロ野球の世界は望めば入れるものでは有りませんが、山田修也選手は見事ドラフト指名を勝ち取ったのですね。
東北勢初の優勝に貢献
名門ではあるものの、長年甲子園優勝は果たせなかった仙台育英。山田修也選手は一年生の春からショートのレギュラーを務め、2年夏に2番打者に定着して甲子園に出場。東北勢初となる甲子園優勝に貢献しました。甲子園後の新チームで新たに主将に就任し、3年春、3年夏にも甲子園に出場、3年夏は準優勝となりましたよ。
仙台育英の歴史の中でも特に強かった時期に主力としてチームを牽引した山田修也選手。監督からは「プロに行かせるつもりでこの3年間育てる」と言われ、その言葉通りにプロ入りが実現したのですね。
山田修也の経歴
ここからは山田修也選手の経歴について紹介します。
仙台広瀬リトルリーグで野球を始める
兄に憧れて仙台広瀬リトルリーグで野球を始め、5歳にして硬球を握っていたという山田修也選手。小学6年生の時にはWBSC U-12ワールドカップの日本代表に選ばれており、幼い頃から野球選手として高い能力を持っていたことが分かります。その後、仙台東部リトルシニアを経て仙台育英へと進学しました。
U-18ワールドカップでも優勝
仙台育英で甲子園優勝を経験した山田修也選手ですが、3年夏の甲子園終了後にWBSC U-18ワールドカップの日本代表にも選出されました。これまで日本代表は同世代の国際大会で、前身のAAA世界野球選手権大会含め一度も優勝経験がありませんでしたが、山田修也選手が出場した2023年大会では見事優勝、初の世界一となりましたよ。
10月のかごしま国体でも仙台育英が優勝、二度の日本一と一度の世界一は山田修也選手曰く「全部違うところで達成したので、すべて新鮮だった」とのことです。
阪神タイガースに入団
高校野球で多くの栄誉を得た山田修也選手は、2023年のドラフト会議で阪神タイガースから3位指名を受け、入団。背番号52を背負い、新たなスタートを切りました。
高卒ルーキーということでルーキーイヤーは二軍でプレー、102試合に出場し打率.217という成績を残しました。二年目となる2025年もここまで二軍暮らし、7月時点で60試合以上に出場するも打率は.179と苦戦しています。それでも公式戦初本塁打を記録しており、これはタイガースの新二軍球場「日鉄鋼板SGLスタジアム尼崎」での第1号本塁打となりましたよ。
出典:阪神タイガース 公式
最後に
今回は阪神タイガースでプレーする山田修也選手とお兄さんとのエピソードや家族構成、学歴について紹介しました。2025年の阪神タイガースは7月時点で首位独走中、今後も黄金期が続くのではないかと期待できます。その中で、いずれ山田修也選手も主力に加わり、優勝や日本一に貢献する姿を見たいですね。