ベストナインに選出!青柳晃洋投手の生い立ちやプロフィール   

2022年も日本プロ野球界は大変盛り上がりましたね!一年を通して様々な話題がありましたが、今回注目したいのは阪神タイガースの青柳晃洋投手です。最多勝、最優秀防御率、最高勝率の「投手3冠」を獲得し、阪神タイガースの真のエースとして活躍しました。

今季から阪神タイガースの新監督に就任する岡田彰布さんからの期待も大きく、全幅の信頼を寄せられているそうですよ。

そこで今回は無名の存在から阪神のエースへと成長を遂げた青柳晃洋投手の生い立ちやプロフィール、年俸についてまとめてみました!

青柳晃洋(あおやぎ こうよう)のプロフィール

  • 生年月日:1993年12月11日
  • 年齢:29歳
  • 出身地:神奈川県横浜市
  • 身長:183cm
  • 体重:80kg
  • 血液型:B型
  • 最終学歴:帝京大学医療技術学部スポーツ医療技術学科卒業
  • 所属:阪神タイガース
  • ポジション:投手

小学4年生の終わり頃に、横浜市の学童軟式野球チーム「寺尾ドルフィンズ」で野球を始めた青柳少年。ご両親は、青柳投手が小学4年生頃に離婚していて、学童軟式野球チームである寺尾ドルフィンズへの入部はご両親の離婚が機になったのかもしれませんね。

母・利香さんはヤクルトレディーとして働き、女手一つで青柳晃洋選手と3歳年上の兄・勇輝さんを育てました。青柳投手は、後に講演で「環境を理由に夢を諦めないでほしい」「母子家庭でお金がないことを理由にプロになることを諦めたくなかった」と語っています。母・利香さんは毎日働きに出て、兄弟には苦労ない生活をさせてくれたそうで、プロに行くか社会人に行くか悩んでいた時も「挑戦できるならした方がいい」と青柳投手の背中を押してくれたそうです。

青柳晃洋の生い立ちや経歴

中学校までは軟式野球、高校も公立校出身、決して野球エリートの道を歩んできたわけではありませんが、現在は阪神タイガースの頼れるエースへと成長を遂げた青柳晃洋投手。

ここからは、その青柳投手の軌跡を辿ってみましょう。

横浜市立寺尾小学校時代

肩が強かった青柳選手は小学6年生頃から投手になり、当時のコーチであった平岡昭彦さんの勧めでサイドスローに挑戦します。

横浜市立生麦中学校時代

中学校では、軟式野球部に所属。寺尾ドルフィンズのコーチであった平岡昭彦さんは、生麦中学校でも外部コーチとして青柳晃洋投手を指導します。中学1年生の時に元・埼玉西武ライオンズの松坂大輔投手に憧れオーバースローの習得を試みましたが、すぐに肘を痛め、再びサイドスローに戻しました。

神奈川県立川崎工科高等学校時代

公立校で一番の成績を収めることを目標に同校に入学し、1年生秋から主力投手として活躍。30mダッシュを1日100本こなし足腰を鍛え、3年生の時には140km/h近い球を投げられるようになりました。

3年生夏の神奈川県大会2回戦では、5回戦まで進出して桐蔭学園と対戦。この試合では、現・東北楽天ゴールデンイーグルスの茂木栄五郎選手に本塁打を打たれた末に敗退。全国大会出場は叶いませんでした。

高校時代からプロを意識していた青柳投手。そこには、朝早くお弁当を作ってくれたり、仕事が多忙でも平日の試合にも応援に駆けつけてくれる母・利香さんを支えたいという思いがありました。

帝京大学時代

帝京大学には、特待生として入学。同級生には東京ヤクルトスワローズの塩見泰隆選手や北海道日本ハムファイターズの西村天裕選手がいました。

1年生から公式戦に出場するも、3年生の時に右肘を手術することに。4年生の首都大学野球秋季リーグ戦では、リーグ最多の6勝を挙げ、ベストナインを獲得しました。リーグ戦通算37試合登板し、15勝9敗、防御率1.91という記録を残しています。

阪神タイガース時代

2016年

ドラフト5位で阪神タイガースに入団。3月5日の千葉ロッテマリーンズとのオープン戦で、一軍デビューを果たします。6月1日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では一軍公式戦に急遽初登板となりましたが、1失点のみの好投で一軍初登板・初先発を初勝利で飾りました。

プロ1年目は13試合に登板、4勝5敗、防御率3.29を記録しました。

2017年

プロ入り後初の開幕一軍入りを果たしましたが、不調が続き4月30日の広島戦で2敗目を喫したことをきっかけに出場選手登録を抹消。5月28日の横浜DeNAベイスターズ戦で再登録されると、この試合でシーズン初勝利を収めました。プロ入り2年目は12試合に登板し、4勝4敗、防御率3.22を記録しました。

2018年

プロ入り3年目のこのシーズンは、二軍で開幕を迎えました。9月2日に一軍に昇格すると、同日のDeNA戦でシーズン初勝利を挙げます。2018年シーズンは4試合に登板、1勝1敗、防御率3.32でシーズンを終えました。

2019年

キャンプ、オープン戦から一軍に帯同し、プロ入り後初の開幕ローテーション入りを果たしました。このシーズンは、初の規定投球回に到達し、自己最多の9勝を挙げました。

2020年

年間通して先発ローテーションに定着。2年連続で規定投球回に到達し、リーグ6位の防御率3.36を記録。その一方で、このシーズンでの9敗はリーグ最多敗戦となりました。

2021年

6月には自身初の月間MVPを受賞。そして、東京オリンピック日本代表にも選出されました。8月24日のDeNA戦ではの勝利投手となり、リーグ最速かつ自身初となる二桁勝利を達成。球団史上初となるドラフト5位以下選手の二桁勝利達成となりました。

このシーズンは全25試合に登板、13勝6敗、防御率2.48、勝率.684という結果で終わり、どの数字も自己最高の成績となりました。そして最多勝利、最高勝率の2つのタイトルを同時に獲得しました。

2022年

自身初となる開幕投手を務めることが決まっていましたが、新型コロナウィルスに感染し登板を断念。4月15日の巨人戦で復帰すると、次のヤクルト戦とそのまた次の巨人戦では2試合連続完投勝利を収めました。

7月15日の中日戦で両リーグ最速となる10勝目を挙げる。最終的に24試合に登板、13勝4敗、防御率2.05、勝率.765を記録し、球団史上3人目となる投手三冠を達成。

2年連続で最多勝と最高勝率を同時獲得したのは、オリックス・バファローズの山本由伸選手とともにNPB 史上初の快挙となりました。そして、11月24日には自身初のベストナインにも選ばれました。

気になる青柳晃洋の年俸推移

川崎工科高等学校卒業前の契約では、推定年俸720万円(契約金4000万円)で、一般的なサラリーマンの年収の2倍ほどでしたが、プロ2年目で1200万円達成。5年目以降は毎年約2倍のペースで金額が上がっています。

 

そしてプロ7年目で1億円越え、そして投手三冠を達成した後の契約更改では2億円を超える、2億4000万円で今シーズンを迎えます。この2億4000万円という金額は、2023年度の阪神タイガースの選手の中では最高額となります。

 

年度年俸額前年度比
2016年720万円
2017年1200万円480万円増
2018年1300万円100万円増
2019年1200万円100万円減
2020年3000万円1800万円増
2021年5000万円2000万円増
2022年1億2000万円7000万円増
2023年2億4000万円1億2000万円増

 

まとめ

今回は、虎のエース・青柳晃洋投手の生い立ちやプロフィール、年俸についてまとめてみました。

青柳投手は、昨年から自身の出身地である横浜市鶴見区の全市立小学校と市立保育園に本やおもちゃなどの寄付を行っています。シーズンの勝利数×10万円を地元の子供たちに還元すると決め、今年は本や図書カード、おもちゃなどを130万円分寄贈したそうですよ。

そして、講演で子供たちに「自分の夢を諦めないで」ということを伝えています。公立校出身で全国大会出場の経験がないところから這い上がってきた青柳晃洋選手だからこそ説得力があり、子どもたちの胸に響くのではないでしょうか。

習い事などでなかなか芽の出ない子や、経済的な理由で競技を続けることを悩んでいる子供たちにエールを送るためにも、青柳投手には、これからも日本プロ野球界のエースとして活躍し続けてほしいですね!